「四国の釣り世界」など、釣りサイトのリンクからこのHPを来訪された方に

このHPはふつうの本(印刷書籍)のように、「目次」を設け章や節に分けて書いてあり、多くの釣りサイトにあるようなプロフィール、釣果、記録などの区分がありません。そこで次のような仕方で、覗いてみてください。

始めに「目次」の第二部「暮らし」(「愛媛・由良半島の自然と宇和海の漁村での生活」)を開いてください。そこには私が釣りをして暮らしている愛媛県愛南町家串地区と家串湾を一望する写真があり、私の「釣り場」の簡単な紹介があります。また、私の家族のことや還暦で退職してからの釣り歴のことなど、「プロフィール」が書いてあります。
私が行なってきた釣りとその釣果については第一部「釣る」(「私の釣り」)の第1章から第6章までに書かれています。「エッセー」であるため、文字がほとんどなのですが、パラパラとめくって、ところどころにある、魚拓の写真などを見てください。なお第3章の後半は、わたしが40代半ばで松山に移り住む前、東京に住んでいた時に行なっていたイシダイの磯釣りの思い出です。

私はすでに古希を過ぎ、日々、体力の低下を感じています。最近は月1週間程度の釣行にとどまっています。行なっているのはほとんどマキコボシ釣り(第一部第1章。地元ではバクダンと呼んでいます。チヌの団子釣りとは別です。)で、この釣りについて書いているサイトはめったになく、ぜひ覗いてみてください。年をとってからでも無理をせずにできる釣りです。私は昨年2015年11月末には愛南町の地元の友人に誘われ、ハマチの泳がせ釣りをやってブリ級を5、6匹釣りましたが、そのあとでぎっくり腰にやられました(笑)。

現役の釣り師にとっては、ほかの人の釣果や記録をカラー写真で見たり、釣っているところを動画で見るのが楽しいのであり、長々とした文章を読むのは退屈だということは、少し前までの私自身を振り返ってみればよくわかることです。

しかし、私は、芥川賞作家・開高健の「オーパ」に書かれている中国の古い諺に触発されつつ、釣りは釣りを止めた後でも、あるいは年老いて釣りができなくなってからでも、(できなくなったことを決して悔しく思うことなしに)楽しく思い起こすことができる不思議な楽しみだということ、つまり、釣りは「人を一生幸福にすることができる」ということを発見し、このことを第三部「考える」の5つの章、とくに、第4章と第5章で、書いています。

「第一部 私の釣り」は、私が実際にやった釣りに関する具体的報告ですが、「第三部 考える」「第4章 釣りについて、釣りの快楽について」では、「釣りは遊びではなく労働だ」などという奇妙な考え方(第9節)に反論する一方、遊びである釣りはどうして楽しい(「快楽である」)のか、そもそも釣りはどんな活動であるのか、等々、釣りに関して様々なことを考えています。
私としては、この「エッセー」を読んでくださる釣り人の方が、「第一部私の釣り」だけでなく、第三部、第4章の「釣りについて、釣りの快楽について」、第5章の「釣りの回想の快楽、釣りについて書くことの快楽―永遠の幸福へ」も、ぜひ読んでくださるようにお願いしたいと思います。
今、読む気はしなくても、いつか将来、年を取って、釣りができなくなってしまった時に読めるように、ダウンロードしておいてはどうでしょうか。もし、寝つきが悪い、あるいは不眠症だという人があれば、今すぐ、スマホにダウンロードし、夜、布団の中で読んでみてください。睡眠導入剤として大いに役立つ可能性があります(笑)。

トップページに戻る